大友光悦 OTOMO“Da You”Koetsu Official Homepage
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NO.0002
中国のライブ初体験

 今回お話するのは、僕と中国との最初の出会い。それまでは中国という国はおぼろげなイメージでしかなかったのに、この強烈な出会いのおかげで、僕は中国にハマってしまったんです。

 90年代中頃、僕はレコード会社のプロデュサーとして、社内にアジアのレーベルを立ち上げようとしていた。なにはともあれ、まずは実際にライブを見てみようと思い、中国のロック関係者と連絡をとった。
 当時、北京でのロックコンサートは許可されていなかったので、北京のメジャーバンドはもっぱら地方で演奏活動をしていた。丁度、北京のロックバンド「唐朝」が武漢のそばでコンサートをやるという。早速そのコンサートを、僕と中国人スタッフの二人で見に行くことにした。
 「唐朝」がコンサートをやるのは、宣昌という都市。130万人もの住人が移転して作られたという三峡ダムで有名なところだ。まず上海にはいって一泊して、翌朝、空路で武漢へ、車をチャーターして6時間かけて、宣昌入りするという日程だった。
 「唐朝」のコンサートは二日あるので、もし車に遅れがでても、翌日のライブは見られる。不測の事態にも備えのある万全のスケジュールだ。夕方上海に入り、旅行社から、翌日の飛行機チケットを受け取る。朝8時半のフライトとなっていた。
 翌朝、空港に着いて、電光掲示板を見てみるが、僕らが乗るべき8時半の武漢行きという便がない。なんと!チケットが手書きなので、旅行社の人が7時半のフライトを8時半と書き間違えたらしい。
 旅行社にクレームの電話を入れ、次の昼の便に変更してもらう。武漢の空港に一番スピードの出る車を手配しておくので、夕方のコンサートには間に合いますから大丈夫ですよとのことだった。
 昼過ぎ、武漢の空港に飛行機は着いた。武漢といえば大工業都市と聞いていたのに、ずいぶん殺風景。飛行機のタラップを降りると、小さな建物しかない。そしてその建物まで、トコトコ歩いていく。ところが、旅行社が手配しているはずの迎えの車がない。旅行社に連絡をとろうにも、空港には電話もない。
 とりあえず、市内までいってみようと思ったのだが、客引きのタクシー運転手たちが、我先にトランクに手を伸ばしてくる。僕と一緒に行った中国人スタッフは北京生まれの北京育ち。この武漢弁ワールドでは全くたちうちできない。
 男たちはちょっと怖かったので、女性運転手のタクシーに乗りこんだ。ところが、タクシー運転手のボスらしき人物がガンガン文句を言っている。あげくの果ては、助手席に乗り込んできた。どうも、序列があるらしい。
タクシーの中で、女性運転手、ボス、そして同行したスタッフの中国人3人で降りろ、降りないの大口論。僕はその頃まったく中国語を話せなかったが、最後にはその口げんかに日本語で参加してしまった。そのおかげもあってか、ボスもやっとあきらめて降りてくれた。
 市内まで入って、旅行社に電話をしてみると、僕らが着いたのは武漢の別の空港のようで、メインの空港のほうに車が手配されていたらしい。今さら、車を変えてもしょうがないので、この車で武漢までいくことにした。
 宣昌への高速道路がある、だが高速も一時間だけ。そのあとは未舗装道路だ。路肩は崩れてるし、トラクターの事故渋滞にもあった。車の天井にアタマをぶつけながら、宣昌に向かう。
 「唐朝」に連絡をとってみると、うれしいことに主催者とのトラブルで開演が遅れているとのこと。でも、二日目のチケットの売れ行きが悪いので二日目はキャンセルになったらしい。こうなったら、何がなんでも、今日のコンサートを見ないと、日本からわざわざ出張してきたのにカッコがつかない。
 夜8時ごろやっと宣昌市内に車は入った。予定より開演が遅れたといはいえ、もう終わっているかもしれない。
 コンサート会場に車が着くと、パラパラと人が出てくる。ああ、今終わったところなのか、残念!と思っていると、体育館の中から音が聞こえる。いやまだ終わっていなかった。駆け出して、歓声のあふれる会場内に飛び込む。
 ステージの上にいるのはまぎれもない、長身の「唐朝」のメンバー4人。鋭いギターの音が「ジャーン」、そしてボーカリストの声が響く。
 「再見!」
 その一声とともにメンバーたちはバックステージへ消えた。パッと客電がつき、会場は明るくなる。僕らが聞いたのはまさに、最後の一声だけだったのである。
 このあと、帰路もまだまだ予期せぬ出来事が…。次回につづきます。
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